就活支援ジャーナルスペシャルインタビュー

相手の立場に立って気配りできるゆとりを持とう
エンターテイナー 高田純次さん

1947年1月21日生まれ、67歳。専門学校東京デザイナー学院卒業。1971年、「自由劇場」の研修生となるが、1年後に退団し、イッセー尾形氏らと共に劇団を結成。その後、4年間のサラリーマン生活を送る。77年、劇団「東京乾電池」参加。89年に独立して株式会社テイクワン・オフィス設立。現在、ドラマやバラエティーを中心とするテレビ番組のほか、テレビコマーシャルなどにおいて活躍中。

幅広い世代から人気を集め、バラエティー番組やテレビコマーシャル(CM)などで大活躍している高田純次さん。常に第一線で活躍しているイメージの高田さんだが、劇団研究生やサラリーマン時代を経て、「タレントとしてやっていける」と自信を持てたのは、40歳を過ぎてからだという。そして60歳を迎えたいま、高田さんのもとには相変わらずCMの仕事が持ち込まれ、日々私たちを楽しませてくれている。「適当男」として人気を博する高田さんに、学生時代から今日までを「まじめ」に振り返っていただきながら、人生を歩む心構えについて話を聞いた。

「仕事ができるいまこの瞬間を良しとする」考え方

 「毎日テレビに出ていますね」と、よく声をかけていただきますが、そうでもありません(笑)。最近はテレビCM の仕事を多くいただいているので、そんな印象が強いのでしょう。とてもありがたいことですが、CM 数の多さよりも、この年齢で仕事があることに感謝しようという気持ちでいます。「ものは考えよう」というのが私の信条です。仕事ができるこの瞬間を良しとすれば、また働く意欲がわいてきます。そう考えれば、人生、少しは気楽になりませんか?

 一方、私は「テイクワン・オフィス」という芸能事務所も経営しています。主なタレントは私自身ですから、私に仕事がなければ事務所の経営が傾きかねないという危機感は常に持ち合わせるようにしています。

「将来の安定」よりも、燃えたいと思う仕事に

私の人生を大きく左右したのは高校と大学、それぞれの受験の失敗でした。特に一浪までして頑張った大学受験ではことごとく不合格。あまりのショックで目の前は真っ暗になりました。それでも、好きだったグラフィックデザインを学べる専門学校をなんとか見つけ出して進学することができました。

高校受験に失敗、大学もダメ。専門学校も落伍したとなると、自分の人生は一体どうなるのか―。そんな不安の中、憧れていた横尾忠則氏の著作を貪るように読み、必修ではない卒業絵画も提出するなど、とても熱心に勉強した記憶があります(笑)。

卒業後に劇団の研究生になってはみたものの、安定した生活を求めてすぐにサラリーマンに転身しました。そんなある日、偶然再会した研究生時代の仲間に「公演に出ないか」と誘われたんです。悩んだ挙句、それまでに得た貯蓄で1 年程度は生活できるだけの余裕があったこともあり、サラリーマンを辞めて芝居の世界に戻ろうと決断しました。もちろん下積み生活ですが、だからこそいまがあるのだと思っています。

振り返ってみると、これまで本当にやりたいことに目標を定めて、一途に努力をするということを私はしてきませんでした。その結果、数々の失敗や挫折を繰り返し、自分が思い描く「自分像」を何一つ実現できなかったように思います。

だからなんでしょうね、人生の選択の際には「いま、この時に燃えたい」という気持ちで臨んだほうが、男としてはカッコイイのではないかと思ったのです。

だからこそ、若者のみなさんにも、就職活動において「こころが燃える仕事」を選んで欲しい。「大企業」だとか「安定」、「待遇」なんて二の次で結構。失敗しても大丈夫。何歳になってもその気ならば、道はきっとあるはずです。

高田純次さんを目指すお仕事探し

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